羽根メンタルクリニック

刈谷市新栄町の精神科、心療内科の羽根メンタルクリニック

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私の目指す医療

私の目指す医療

私の目指す医療

20世紀中頃に活躍したアメリカの精神科医、ハリー・S・サリバンは、人間が生きて行くのに必要不可欠なものは「安全保障感と満足」だと述べています。安全保障感とは安心感であり、満足とは自己実現だと言い換えることができます。何よりも医療は、患者様に安心感を与え、自己実現を目指す基礎となる肉体的・精神的安定をもたらすものでなければなりません。不安や苦痛を取り除き、和らげ、辛さや人知れず悩む煩悶などに共感することによって、自分は他者に支えられみんなと共に生きているという実感をもたらすことが大切だと思います。サリバンはまた、人間の成熟とは「一人でも多くの人と協力して何かを成せること」と言います。協力とは、みんなが力を合わせるということです。医療の世界ではいつでも誰でもが、「チーム医療が大切」と言いますが、実際の医療現場を見ていると中々チーム医療というのは難しいものです。またチーム医療というと、医者や看護者を始めとする医療側のチームと考える人が殆どです。しかし私は、チーム医療の一番最初のそして一番重要なパートナーは患者様であると考え、共に働く人たちに伝えてきました。患者様を最良のパートナーとして、患者様や他のスタッフと共に、どうすれば不安や苦痛が取れるのか、安心感を持って社会で自己実現を目指すことができるのかを考えてきました。

さて、最近スローライフとかロハスという言葉が流行しています。現代社会は「もっと速く」、「もっと正確に」、「もっと便利に」とスピードや完璧が求められ、人々は立ち止まることも許されず時間に追い立てられています。先のスローライフなどを提唱する動きは、このような現代社会で人間が疎外され人間らしく生きて行けない状況への反省から生まれてきたものです。本当の幸せとは何かを追い求める、一つのゆとりある生活スタイルです。スピードと完璧を追い求める世界は、人間を知的能力のみで判断し頭を使うことに重点を置いていきます。この代表が受験勉強でしょうか。点数だけで人を評価する仕組み、これは社会システムの中でも取り入れられています。しかし100点は正解のある場合だけに可能です。社会生活や人生に正解はありません。ここで大切なのは、自分自身にとって安心してすこしでも自己実現を果たせるよう共に協力して考え、何かを行っていくことでしょう。それには知識ではなく智恵が求められ、他の人々や自然と共に生きているという感覚が生まれる場が必要となります。

さらに、もう一つ知っておかなければならないことは、現代社会では「恐怖と不安を煽られ、人々が大きな力に呪縛されている」ということです。「給料が下がっても会社が潰れるよりましだろう」とか、税金の無駄遣いには頓着せず「将来年金制度や医療制度が崩壊しないために、自己負担の増加や増税はやむを得ない」とか、テロの恐怖を煽ることにより国民を国家の管理に従属させていくことなどが、公然となされています。こうした中で人々は大きな経済的負担を負い、厳しい競争や将来への不安、希望のなさなどのストレスに晒されています。

精神科を訪れる患者様を長年診てきて、私が一番感じることは、彼等は「頭だけで生きている人たち」であるということです。さらに言えば、「何らかの理由で、頭だけで生きざるを得ない状況に追い込まれている人たち」とも言えるでしょう。こうした状況も上に述べた現代社会の特殊性から生まれてきたものだと言えるでしょう。「カラダ」というとき、「体」とも「身体」とも書きます。
「身」とは単なる肉体的な体ではなく、触覚や内臓感覚をも含んだ感覚的な存在としての「カラダ」を意味します。また心身とも言いますが、心と身体はお互いに協力し合い一個の人間存在のバランスを保っています。このバランスが崩れると、様々な身体症状が出現します。不眠、心身症、パニック障害、さまざまな自律神経症状、解離や体への転換症状(これらはヒステリー症状と言われている)などが代表的なものです。身体が心を助けることもあれば、心が身体を助けることもありますが、これが生物・動物としての人間と社会的な存在としての人間の自然な姿です。心の働きの中でも、情緒や感性、直感などは、目に見えるもの数値化されたものや時間、効率に縛られた現代社会では、非理性的あるいは不合理なものとして排除されています。智恵ではなく知能あるいは知識が尊重され、じっくりと本物を求めようとしても効率や便利さ、正確さ、速さが支配する世界となっています。こうした状況が心身のバランスを崩しているのです。
それとは反対に、ゆとりや余裕、寛容・寛大さのある状態では、じっくりと自分自身を見つめることができます。たとえ病気になったとしても、病気は自分自身を見つめる一つの契機となります。病気はたとえ病名が同じであっても、病像は一人ひとりの患者様で全く異なるものです。一人ひとりの患者様を尊重し、病気を「その患者様独自の不快な環境」と捉え、患者様と一緒に「少しでも楽になる方法」を模索するような医療を目指したいと考えています。